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好きなときに好きなものを書ければいいのです。 オチがなくても気にしない。
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なんか考え事してたんですが、
その中でも覚えておきたいからポツポツ打っておこう。
昔描いたものを描き直したりしないのかな話。


置いてるドットの中でそろそろ古いなーって思うものが増えてきたように思います。
でもそれを打ち直し、リメイクとかって私する気がないなぁって。

単純に技術力という意味なら伸びてるとは思います。
だって昔に書いたのヒデェなって思いますもんw
そう思えるようになったってことは進歩してるから良いのは良いのですが。

昔呼んだ本の話なんですが、絵の修復士の表現がでてくるところがありまして、
それはどうも絵を修復するために、その絵の作者が何を思って書いたか
までを理解しないといけない的な内容でして。
当時足りない頭ながらなんかなるほどなーって思いました。
本の内容自体はイマイチ理解できなかったけどなw

まぁそうだよね。後世まで残るものだもんね。いいものですよね。
それは単純に技術だけの話じゃなくて、その人が何を思って、何を表したかったから、
そういう絵になって、それが形として評価されてるんだよなって思うと深いですよね?な。
それを上塗りするのです。
その中に自分こめてしまえば、もうそれは違う絵になっちゃうよねって。
でも修復士の人はあくまで絵の作者ではないのでどんだけ理解しようとしたって
同じ気持ちではないだろうし、解釈とかも間違ってるかもしれない。
でもほっとくと絵だって痛むのでそれは必要な作業なわけで。
それを考えると今現存されている有名な絵画とかは
いろんな人の解釈が混ざってるから、当時の作者のオリジナル要素って薄れてるのかなとも。
だから修復前のありのままを感じることができた人は得だなぁと思うのです。
身も蓋もないですが。
でも翻訳された本とかも私それを思うことがある。
訳者の解釈が入ってるから、それは原作とは違うものでしょうみたいな。
そういうとき語学達者やったらなぁって思う。

でここまで書いといて何が描きたかったかというと、
昔の私は昔の私なりに書きたいものがあったんだろうなーって思うのです。
だから描き直しをしたところで、いくら似ているものができようと
それは同じモノにはならないよなぁって。
感じ方とかも当時と今とじゃ全然違いますし。
それでもなんかそのとき描きたいものがあったんやろうなぁと思うので、
古いものも未だに置いてるわけですが。ええ私が見て楽しい。

長くなった
そういうのも含めて描き直しの楽しみかなーとも思うのですが、
それならば私は新しいもの描きたいなぁなところに落ち着いておきます?


【追記】 しかしこんなことを何回も書いたことがある気がするのはアレか。ボケてきてるのか。

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